—2010年に独立されるんですね。

そうですね、山崎製パンから、湖池屋、その後トーマツでは2年ほど働き、起業したのは2010年です。トーマツ時代からのお客さんもいましたが、最初は仕事が少ないので、新日本監査法人の子会社の外部コンサルタントとして契約してもらいました。数字に厳しい会社で、その会社があるまちに行くといまだに頭痛がして具合が悪くなるっていうぐらい詰められて本当にきつかったんですけど、個人ではとれない大手企業の仕事なんかは、そのときに取ることができました。契約を終了したときに私がとってきたクライアントに関してはすべて引き取らせてもらったので、それが屋台骨になってその後の経営もうまくいったところはあったと思います。

—少し話が戻りますが、現在もやられている「一般社団法人エコ食品研究会」はいつ頃始めたものなんでしょうか。

2004年ですね。まだ湖池屋で働いていたときです。湖池屋ではマーケティングの仕事もしていましたが、その頃には減塩ポテトチップスなどを発売し始めていて、「ヘルス」と「エコ」は今後絶対にマーケティングの潮流になると思っていました。それに、そういうことを考えないといけないんじゃないかと思うようなきっかけも、その前からありました。

—それはどういうきっかけですか?

まだ山崎製パンにいて商品開発をやっていた頃のことですが「エコフィード」っていうのを農林水産省が推奨しようとしていたんですね。要は、食品残渣を減らすために売れ残ったコンビニ弁当なんかを飼料にして、その飼料で育てた豚でまた商品をつくる、みたいなことです。

そうすると、豚は早く肥えて、すぐにミンチにできるんです。だけどね、なぜかお腹を壊すんです。早く成長するけど、生きてる間の短い時間はお腹を壊し続けている…これはダメだろう! っていうのが、私がもともと健康やエコに関心を持って、ちゃんとしないといけないと思ったきっかけでした。それもあって、エコ食のキャラクターは豚なんです。

—実体験を経て、時代の潮流を見据えていたわけですね。

そこでロッテと明治製菓の仲良しの社員さんに声をかけて、エコとヘルスの勉強会をしようと立ち上げたのがエコ食品研究会の発端でした。50社以上集まりまして、お互いに発表しあったり、大学の先生を呼んで講演してもらったりして、そのあとに懇親会をやっています。そして、規模が大きくなって会計も必要になってきたからっていうことで、2009年に一般社団法人に法人化しました。私が陣頭指揮をとるようになったのは2011年からです。今もたくさんの企業さんにご参加いただいています。

—エコ食品研究会といい、コンサルのお仕事とは別に自然栽培農家としても活動していることといい、とてもオーガニックな意識をお持ちなのかと思っていましたが、食に興味をもったのが菓子パンだったり、大手メーカーへの勤務経験があったりと、決してオーガニックだけではないですよね。だけどエコやヘルスというものへの意識もある。このバランスはどこから生まれているのでしょうか。

こんな団体に立ち上げから関わっているというと、さぞオーガニックな人だろうと思われがちなんですが、私はある意味「ノン・オーガニック」です(笑)。なんというか、ガチガチに、これが正しいと思って進むんじゃなくて、何かを見たときにちょっと違うなっていうものを改善していく程度でいいと思っているんです。つまり、何事も単によくしようっていう発想でやっているだけなんですよね。それが結果的にエコやヘルスに繋がっていったんです。

自然栽培も同じです。私は春菊をメインに栽培しているんですが、おいしい春菊が育てられる方法をいろいろ試した結果、いちばんおいしくできるのがたまたま自然栽培だったというだけです。

—その自然体かつ的確な物事の捉え方は、久保さんのこれまでの要所要所で生きていますよね。「何か変」とか「こうすればよくなるんじゃないか」ということにシンプルに向き合った結果、個店を元気にしたい、ということに繋がっていったと感じます。お仕事はどのように増えていったんですか?

起業してそれほど経たないうちに、子どもの学校の関係で、神奈川県の藤野(現・相模原市緑区)に引っ越しました。それで、地元の「藤野商工会」に顔を出したんです。ちょうど中小企業診断士の資格をとったあとだったので、当時の局長が、地元に困っている会社があるから試しにやってみようかと言ってくれました。その仕事がすごくパフォーマンスよく達成できて、向こうの会社さんも喜んでくれたんです。そこから、これもお願いします、あれもお願いしますって頼まれるようになりました。また、藤野商工会の方があちこちで評判を言ってくれるので、隣町の津久井や城山、愛川や逗子、鎌倉や茅ヶ崎など、神奈川県内でどんどん仕事が広がっていきました。

—ここ数年は、全国各地で講演活動もされていますね。

きっかけは中小企業診断士のコンテストに論文を提出して最優秀賞(中小企業庁 長官賞)を取ったことです。2回出していて、2013年に出したときは2位(中小企業診断士会 会長賞)でした。このときは明らかに下心です。有名になってもっと仕事増やしたい、みたいな(笑)。でも2017年の2回目の応募は違います。診断士の人たちにひとこと物申したかったんです。

たとえば商工会には、1社専門家派遣っていう制度があります。それは商工会が費用を負担して、事業者さんが3回まで中小企業診断士のような経営コンサルタントに相談できるっていうものです。でもその3回を空気のように過ごす診断士って残念ながらたくさんいて。たとえばこの商品が売れないからどうにかしてくれって言われても、3回で解決しようと思わないで取り組むから、中途半端に終わって結局何も解決しないんです。

本当なら、この3回セットでどうするのかを考えなきゃいけないですよね。そうすると、3回の間の取り方とか、1回目にやっておかないといけないこととか、2回目、3回目でどうやって結論と実行支援に持ち込むかを考えながら進めないといけないんですけど、それができていない診断士がとても多い。それで、自分の手法や、3回でどう結果を出すのかという方法論をどこかで発表したほうがいいと思いました。その論文が1位になって、その後は全国各地の講演に呼ばれたり、中小企業診断士の資格更新の研修にも講師で呼ばれるようになりました。

—自分と同じ中小企業診断士の方々にも、ちゃんと個店の課題を解決できるような仕事をしてほしいと願っているんですね。久保さんが、仕事をするうえで、いちばん大事にしていることはなんですか?

どういうことを求められるのかはともかくとして「成果」です。形に残る成果だけは残してあげたいと思っています。借り入れの手伝いもそうですし、補助金をとるのもそのひとつですね。補助金の申請支援って結構大変なんですけど、成果としてわかりやすいのでやっています。マーケティング的なところでいうと、「今がこうで、●月●日までにお客さんを●人増やしたい」っていうふうに、目標をきちんとフィックスして、それに対してバックキャスティングで何をしようかを相談しながら仕事していきます。成果を意識しているからなのか、今のところ契約を交わしたお客さんから切られたことって1回もないんです。

—それはすごいですね。

当たり前ですけど、全部が全部大成功しているわけではないんです。でもそれは、こういうふうにタームを決めて、少しずつでも必ず成果を出すっていうことを続けてきたからじゃないかなと思います。あとはやっぱり、不思議と相性のいいお客さんが多いですね。

—クライアントとの信頼関係がしっかり築けているんですね。

経営コンサルは、ずっと一緒にいて目をかけ続けるっていうものです。とにかく、トコトンまで付き合う。だから信頼関係が築かれていくんだと思います。

—今後はどのような仕事をしていきたいですか?

これから個店が生き残るためには、信頼される店にならないといけないと思っています。顔が見えるというのは当たり前で、この地域に必要だって思ってもらえる存在感が重要ですし、気持ちとか愛情、キャラクターも大事だと思います。

今は、顔が見えない商品って多いですよね。でもそれは大手の仕事で、個店に求められるものは違います。私は、そういう本質的なところも解釈してもらわないといけない時代になったと感じています。だから、テクニック寄りになる飲食コンサルではなく経営コンサルがやりたかったんですよね。大企業は大企業での規模感と目線で、仕事することの価値があると思っています。でもやっぱり、小さい個店をひとつでも伸ばすことになにより貢献していきたいです。

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